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ジオパークイメージ写真
ジオパーク :ジオパークとは

ジオパークってなに?

ジオパークとは、「地球・大地(ジオ:Geo)」と「公園(パーク:Park)」とを組み合わせた言葉で、「大地の公園」を意味し、地球(ジオ)を学び、丸ごと楽しむことができる場所をいいます。

ジオパークは、ユネスコの支援により2004年に設立された世界ジオパークネットワークにより、世界各国で推進されています。

ジオパークは以下のように定められています。

  • 地域の地史や地質現象がよくわかる地質遺産を多数含むだけでなく、考古学的・生態学的もしくは文化的な価値あるサイトを含む、 明瞭に境界を定められた地域である。
  • ジオツーリズムなどを通じて、地域の持続可能な社会・経済発展を育成する。
  • それぞれの地域の伝統と法に基づき地質遺産を確実に保護する。
  • 世界ネットワークの一員として、相互の情報交換を行い、会議に参加し、ネットワークを積極的に活性化させる。

これらに加えて防災への取り組みも重要視されるようになっています。

2015年11月17日、パリで開催された第38回ユネスコ総会において、これまでユネスコの支援事業として行われてきた世界ジオパークネットワークの活動が、ユネスコの正式事業になりました。

おおいた姫島ジオパークとは

姫島の大地をつくる岩石と、長い年月をかけて形成された地形や土壌、その上に育まれてきた生態系や、人々の暮らしの中で作りあげられてきた歴史や文化を総合的に理解することで、 他にはない姫島の魅力が見えてきます。おおいた姫島ジオパークは、村民と行政が一体となって、そんな姫島のもつ魅力あふれる地域資産を活用する「島づくり」の取り組みです。この取り組みを通して、 島の活性化、交流人口の増加を図り、地域振興、観光振興による地域ブランドの向上、地域力の向上を目指します。

おおいた姫島ジオパークのジオストーリー

姫島は、約30万年前から活動した7つの火山によってできた4つの小島が、海の作用により砂州で繋がって一つになった島です。姫島特有の地形や地質の上に成り立ってきた歴史・文化・産業・生態系など、「おおいた姫島ジオパーク」のジオストーリーをご紹介します。

火山活動と大地の変動

プレートの沈み込みにより、地下でマグマが生成され、火山が発生します。

西南日本では、ユーラシアプレートの下にフィリピン海プレートが沈み込み、九州を縦断するように火山フロントを生じています。

姫島には、7 つの火山があります。30万年前以降のそれぞれ異なる時期に一度だけ活動した単成火山です。

関連するジオサイト等:観音崎、金溶岩、浮洲火口、矢筈岳

火山が様々な地形を作りだしました。マグマの上昇に伴って隆起した200 ~ 60 万年前頃までの地層には、断層や褶曲などの変形がみられ、ゾウなどの化石も地表に現れました。

関連するジオサイト等:観音崎、観音崎火口跡、浮洲火口、矢筈岳、金溶岩、鷹の巣、大海のコンボリュートラミナ、大海の褶曲構造、ゾウ化石

気候変動と姫島の火山

約260 万年前以降、地球は温暖な時期(間氷期)と寒冷な時期(氷期)を繰り返しています。気候変動に伴って地球の平均海水面も変動するため、瀬戸内海は陸になったり海や湖になったりを繰り返していました。

姫島の7 つの火山は、30 万年前からそれぞれ異なる時期に活動しているため、水との反応の違いにより様々な地形が作られました。

姫島を形作った海の作用

瀬戸内海の潮流や潮汐が、姫島の地形を作り、姫島の歴史や文化を育みました。瀬戸内海の潮流や潮汐はどのようにして生まれたのでしょうか。

約2 万年前には、瀬戸内海は陸地で、姫島周辺には川や湖などがあったと考えられています。その後、海水面が上昇し、姫島は海に囲まれた島になりました。

瀬戸内海は、平均水深約30 m の、閉ざされた海域です。太平洋の潮汐の影響をうけ、瀬戸内海には強い潮流と大きな干満差が生まれます。

関連するジオサイト等:浮洲

約6000年前には、現在よりも数mほど海水面が高く、激しい潮流がぶつかる場所は削られ、潮流の緩やかな部分には土砂が堆積して砂州を形成し、4 つの小島が砂州でつながり現在の地形ができあがりました。

関連するジオサイト等:鷹の巣、灯台下の海食洞、アサギマダラ休息地(春)

旧石器時代以降、石器の材料となる黒曜石を求めて、人がやってきました。縄文時代の終わりに海水面が下がり、砂州が離水すると、その上に人が住み始め、集落が作られていきました。島内から、縄文、弥生時代の遺跡が見つかっています。

関連するジオサイト等:浮田、用作遺跡

現在では、集落ごとに港が作られ、7つの地区に分かれています。

国選択無形民俗文化財「姫島の盆踊」は、鎌倉時代の念仏踊りから派生したといわれ、姫島の7つの地区それぞれに趣向を凝らした様々な踊りがあります。

「キツネ踊り」に代表される「伝統踊り」は毎年踊り継がれています。

瀬戸内海航路と姫島

瀬戸内海に突き出すような位置にある姫島は、関門海峡に近く、瀬戸内海航路を通る船が必ず通過する場所にあり、海上交通の要所として知られています。

関連するジオサイト等:姫島灯台

帆船が主流であった時代には風や潮流に合わせて通航する必要があったため、風待ち、潮待ちのため、北前船などの多くの船が姫島に立ち寄りました。古くから瀬戸内海航路に開けた島として賑わい、姫島の歴史や文化が育まれました。

関連するジオサイト等:姫島庄屋古庄家、沖の波止、下関戦争四国連合艦隊集結場所

瀬戸内海航路と国生み神話

瀬戸内海は、陸地に囲まれた内海で、穏やかであること、多くの島々があることから、古くから航路として使われてきました。「姫島の黒曜石」は、瀬戸内海沿岸の縄文時代を中心とした遺跡から発見されており、瀬戸内海を丸木舟で渡って交易が行われていたと考えられています。

関連するジオサイト等:観音崎

「古事記」の国生み神話には、当時の航海上の重要な拠点や石器材料の産地として知られる島々が登場します。姫島もそのうちの一つで、国生み神話では12番目に生まれた「女島」として登場します。

海と地形が生み出した特産品

瀬戸内海は日本でも干満の差が大きい海域のひとつとして知られており、周防灘では最大3.5m に達します。姫島の海は、遠浅の地形に加え、干満差が大きいため、干潮時に磯や干潟が広範囲に露出します。

姫島車えび

江戸時代、干満の差を利用して海水を引き入れて塩を作る入浜式塩田が開発され、昭和34 年に塩田が廃止されるまで、製塩業は姫島の主要産業でした。

昭和38 年、塩田跡地を活用して車えびの養殖がはじめられ、現在では「姫島車えび」として日本有数のブランドになっています。

姫島ひじき

干満差が大きく火山岩のゴロゴロした磯はひじきなど海藻類の生育に適しています。


「姫島ひじき」は姫島の特産品となっています。